吉田 松陰(1830~1859)
・夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし。
☆日本の江戸時代後期、幕末期の思想家、教育者、兵学者。明治維新の事実上の精神的理論者である。長州生まれ。9歳で明倫館に上り、学を講じ、11歳にして藩主毛利敬親の御前で山鹿流兵学を講義し、藩校明倫館の兵学教授として出仕する。平戸に遊学後、江戸に出て佐久間象山らに学ぶ。幕府が勅許なく日米修好通商条約を結ぶと激しくこれを非難、老中の間部詮勝の暗殺を企てた。長州藩は警戒して松陰を投獄した。生家で預かりの身となるが、叔父の玉木文之進が開いていた私塾松下村塾を引き受けて主宰者となり、木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、吉田稔麿、前原一誠等維新の指導者となる人材を教える。安政6年(1859年)幕府は安政の大獄により江戸伝馬町の獄において斬首刑とした。享年29歳。
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